2008年04月05日

久しぶりの

10日くらい前のことですが、何を考えたのか、とつぜん新約聖書を読みたくなりまして、机の引出しにしまっておいた聖書を取り出し、「マタイによる福音書」を一通り読んでみました。マトモに読むのは高校生以来のことですよ。


聖書は興味深い書物ですし、同時にキリスト教は尊敬すべき宗教だとは考えてきました。ただ、ずっと以前から「神はいると思うが特定の宗教は信じない」というのが、私の宗教的スタンスなのです。

それなのに、「マタイ」を読み終わったとき、不覚にも感動してしまったのですよ。

ただし、イエスを信じる気になったとか、「洗礼を受けよう!」などという衝動に駆られたわけではなく、この書物の奥の深さに驚愕したわけです。中学・高校の6年間でイヤというほど読んだはずなのに、以前とは全く違う読み方ができたり、新しい意味を見つけたりできるわけです。信者でない人間が読んでも驚くほど内容が充実している。それでいて文章は極めて平易で、気軽な気持ちで読めるのがいいですね。


・・・「古典」とは、同じ箇所から色々な解釈ができたり、接するたびに新しい発見があったり、人によって受ける印象がちがったりするからこそ、時代を超えて親しまれ引き継がれていくものだと思う。ベートーヴェンの音楽や、夏目漱石の文学、手塚治虫の漫画、それに私の尊敬するドラッカー博士の経営書もそうでしょう。そういった中にあって、新約聖書はまさに『古典の中の古典』ですな。


・・・やはり、いちど買った書物は捨てずに保管しておくべきだと思いました。優れた書物であるほど読むたびに印象が変わったり新しい発見があったりするものですし、そうした体験を通じて自分の成長や心境の変化を確認することが、読書の醍醐味の一つでしょうね。


ん?今日はちょっとアヤシイ話題だったかな。


 

posted by 黙星 at 03:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 管理人のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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